●謝長廷惨敗

台湾総統選22日投票即日開票で謝長廷惨敗。
これで「台湾」は後退だ。

台湾総統選22日投票即日開票で謝長廷惨敗。
これで「台湾」は後退だ。
台湾立法院選挙が12日に行われた。
ある程度は想定していたが、大変残念であり悲しい結果となった。
ちょうど在台中であり選挙前夜、当日、翌日の空気を感じ取ることができた。
結果を総括して、翌13日に台北教育大学の李筱峰教授が、『後世の歴史家が知りたい問題』というタイトルで自由時報に掲載しているのが目に止まった。
台湾の友人が邦訳して今日送ってくださった。
多くの方々に知って欲しく、掲載することにした。
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昨日は立法委員の選挙が行なわれ、開票の結果、中国国民党が大勝し、台湾立法院が惨敗を喫した!
同時に行なわれた党産(国民党が不法取得した資産)を国が取戻す法案可決を問う住民投票も通過できなかった!
この結果、中国北京当局がほくそ笑んでいるばかりか、百年後の後世歴史家も理解に苦しむに違いない。百年後の社会がなおも「黄鐘毀棄,瓦釜雷鳴」(※1)(賢人が重用されず、凡庸無才徳の人が高位に就いている)の時代であればだ。さもなくば後世の歴史家は必ずや以下の数多の問題について答えを解きたがるはずだ。
なぜ曾てあれほど多くの人間を殺戮した政党が、正義への転換を拒絶したにも拘わらず、今なおも台湾人の支持を受けられるのか?
なぜ長期にわたって反民主で、今に至るも直接民権(住民投票)に反対を唱えている政党が、なおも台湾人に肯定されているのか?
なぜ台湾の独立主権をぶち壊すことを能事(なすべき仕事)としている政党が台湾人から唾棄されないのか?
なぜ台湾人は、過去において我々に「反共抗俄,消滅共匪」(※2)のスローガンを叫ばせ、今や「聯共制台」(中共と連合して台湾を制裁する)の政党に適応するのか?
なぜ台湾人は、国家の資産を横領し、政党資産累積数千億元にも上る政党に投票するのか?
なぜ中国国民党が国家の資産を横領した党産を取り戻すと非常に多くのメリットを得られるのか?(例えば:五歳の幼児の幼稚園費用は無料、小中学校の教科書代及び学校栄養給食は無料、高校高職の授業料は無料、大学の学資金及び青年創業貸付は全て無利息など)があるのに、 台湾人は取り戻したくないのか?
なぜ国会(立法院)において、事々に難癖つけて妨げ、処々に反対を唱え(例えば、国家の重大な投資法案、軍備購入法案は反対、治水工事予算も反対、監察院長及び委員人事案にも反対などなど)、時々刻々さまざまな手段で政府の運営を麻痺させようとする政党が、なおも人民の支持を得られるのか?
なぜ極力台商(台湾業者)に中国への投資を勧めている政党が、(中国投資の影響で失業などのため)暮らしが悪化したと自認している民衆の支持を得られるのか?
なぜ政党関係者(党員籍の高官、ビジネスマンたち)の汚職犯や経済犯(彼らが横領した公金は数千億元にも達する)の指名手配者を多数抱えているにも拘わらず、なおも台湾人の投票支持を得ているのか?しかも彼らに追随して「反貪腐」(汚職反対)を叫んでいる。
なぜ軍人家族の住宅改築条例などの「錢坑法案」(無法な支出法案)を提案して、台湾人に天文的金額の一兆三七六○億元を負担させようとした立法委員たちを、台湾人は又もや彼らを順調に再任させているのか?
なぜ原住民に対して「君を人間として見ている……」と発言した馬英九集団が、なおも原住民の支持を受けているのか?
なぜ数人もの曾て汚職容疑或いは選挙違反(票買い)容疑者の現職立法委員を、台湾人は彼らの再任を成功させたのか?
なぜあの株式売買で富豪になった揚げ句、国民党の党産売却に手を貸した立法委員を、台湾人は彼の望み通りに再任を果たさせたのか?
なぜ曾て「耳たぶを舐めた」(※3)のデマを流した事件の立法委員が、依然として台湾人の肯定を受けて再任を果たせたのか?
後世の歴史家は、多くの「なぜ」に戸惑うだろう。これらの「なぜ」は、単なる「集団ストックホルム症候群」や、「奴隷性格」、或いは後藤新平が言うところの「台湾人は死を恐れ(高圧的な威嚇に弱い)、銭を愛し(利益誘導に弱い)、面子を重んじる(虚名虚位で篭絡し易い)」で解釈できえるものではない。台湾人よ、我々は歴史の審判を待つとしよう。
(作者は国立台北教育大学台湾文化研究所教授)
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役者が補足してくださった。
※1. 「黄鐘毀棄,瓦釜雷鳴」 中国戦国時代楚の人 屈原 がその才を妬まれて江南に放逐された頃に著した詩集『卜居』(『楚辞、巻六』)に「黄鐘毀棄,瓦釜雷鳴」という詩句で自己の心境を表現した。「黄鐘」とは楽器の調律器で賢人の例え、「毀棄」は毀され抛棄されること、即ち賢人が重用されないの意。「瓦釜」とは陶器製の鍋釜、凡庸の比喩、「瓦釜雷鳴」とは陶器製の鍋釜では本来巨大な音が生じないはずなのに、このような凡庸の物が雷鳴の如き巨大な音響を発したの意。即ち凡庸無才徳の人が赫々たる高位に就くの比喩。
※2. 「反共抗俄,消滅共匪」 中国内戦時代に国民党政権が唱えた標語。「抗俄」はソ連に抵抗、「共匪」は中国共産党の蔑称。即ち中共とソ連に反抗し、中共を撃滅しようの意。
※3 「耳たぶを舐めた」事件 ある中年男性がカラオケショップで若い男性の耳たぶに接吻した「セクハラ」の被害者の言い分を真に受けた国民党籍の現職女性立法委員が付添って記者会見を行ない、容疑者に名指しされた政府高官(民進党籍の男性)に公開謝罪を要求したが、その後の調査で人違いだったことが判明、逆に女性立法委員が件の高官に謝罪した事件。

李登輝先生の来日が叶い、奥の細道を歩かれた。
昨日は岩手県平泉の中尊寺へ行かれたが、姑息な支那の妨害にあった。
なんと中尊寺が中国仏教団体の圧力に屈し、李登輝前総統を一般客と同じ扱いにするなどの嫌がらせをしたのだ。
(台湾の声より引用)
中尊寺は、李氏の訪日直前に訪れた中国の仏教関係団体から「李登輝氏を特別扱いしたら、今後の仏教交流は中止する」との圧力を受け入れ、当初の歓迎予定を全てキャンセル。一般客と同じ扱いにすることを関係者側に通告した。李氏一行の到着に際して、中尊寺側は出迎えを一切行わなかった。
降車場所についても、一般客と同じ扱いのため、84歳の李氏は車で山の上の境内まで行くことは出来ず、本会支部関係者の要請で、なんとか途中の坂まで車を入れることを許された。
当初指定された駐車場から境内までは長い坂道が続くため、境内の手前まで車を乗り入れたいとの要望に対し、中尊寺担当者は「事前要請がないため無理」との返事。(以上)
李登輝先生は粛々と寺を散策、念願の訪問を喜ばれていたようだ。

日本時代に台湾南部を一大穀倉地帯に変えた水庫の完成に半生をかけたた八田與一技師を描く芝居公演が行われる。
劇団昴による『台湾の大地を潤した男~八田與一の生涯~』だ。
今のところ下記5公演が公表されている。
海外で大活躍した日本人、八田技師のことを公演を通じて多くの方に知ってもらいたいものだ。
■公演日程
6月12日(火)・13日(水) 小松市公会堂
6月15日(金) 七尾市サンライフ・プラザ
6月20日(水)・21日(木) 金沢市文化ホール
6月24日(日)・25日(月)・26日(火) 金沢市厚生年金会館
6月28日(木) 調布市グリーンホール
■問合せ
TEL:03-6907-9220 劇団昴宛(平日10時~19時)
FAX:03-6907-9230 劇団昴宛(24時間常時受付)
Eメール:ticket@theatercompany-subaru.com
池上一郎博士文庫設立6周年紀念祭が池上一郎氏の誕生日にあわせ、今月16日台湾・屏東縣竹田驛園で開かれる。
今年は公の文庫として自治体からも認められ、節目の年になるだろう。
昨年は5周年紀念祭【写真下】の一ヵ月後に池上夫人が他界することになってしまい大変残念だったが、関係者はすでに高齢の方ばかり。今後のバックアップができる体制づくりが課題となっている。
毎年1月16日には周年紀念祭が行われる。
ぜひ機会をみつけ多くの日本人にも参加してほしいイベントだ。

[参考:イベントのご案内文]
謹賀新年
明けましてお目で度うございます。
正月の歩調と共に近づいて来たのが待ちに待った開館記念です。
来る一月十六日は池上一郎博士文庫創立六周年を迎えます。
今年もお揃いで再会し、好いお正月をお迎えしましょう。
では下記の如く六周年記念イベントのご案内を致します。
一、日期:二〇〇七年一月十六日(火曜日)
二、受付:午前八時半 ~ 九時半
三、活動時間:午前九時半 ~ 午後二時
1.歌唱「新年の歌」
2.来賓紹介及び健康に関するスピーチ
3.記念撮影(文庫前広場)
四、昼食:文庫提供
場所 屏東県竹田郷竹田村 竹田驛園内 池上一郎博士文庫
二〇〇六年十二月二十五日
池上文庫六周年記念イベント準備委員会
TEL:台湾(08)7711647
理事長
劉 耀祖
常務監事
鐘 徳材
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日本でのお問い合わせは枝(eats@a-eda.net)まで
ご参考: 池上一郎博士文庫
http://www.a-eda.net/asia/ikegami.html
【「自我」排し高い次元に生きる】(2006/9/21) (題字は李登輝氏)
最後に、最近台湾で、「台湾民主化の遣」と言うDVDが出回っています。20年来の台湾の民主化の過程に於いて、私は与党国民党の指導者として、台湾の国民の声に耳を傾け、主流の民意を尊重し、それを改革の推進力として来ました。このDVDの中で台湾の民主化を進めた私に対して、「李登輝は一体何者や?」と問うていました。
それに対して台湾大学史学科の呉密察教授は、『李登輝氏は日本の大正世代に生まれ、徹底的に日本教育の薫陶を受け、忍耐、自制、秩序を重んじ、公の為に奮闘、努力する精神を身につけた人である』と返答しています。
この答に同意はしますが、日本的教育で、最も強調されている"実践躬行"が述べられていません。日本的教育の長所は、武士道精神に表現される実践にあると言えるでしょう。私も知ること、考えること以外に、実践する能力に全ての意義を与えています。
私にとって、人生は-回限りであり、来世はありませんから、一部の宗教が所謂「輪廻」を唱えるのも、私はそれを自己満足に過ぎない話だと思っています。
「意義ある生」をより肯定すべきだと思います。
「人間とはなんぞや」、または「自分とは誰だ」という哲学的問題から出発し、自己啓発へ発進すれば、人格及び思想の形づくりが完成できます。「自我」の死への理解を踏まえたうえで、初めて肯定的な意義を持つ「生」が生まれるのです。
実際に、人間は単に魂(心)と肉体から構成されています。けれども精神的な弱さは更に高い次元の存在を必要とするのです。総じて言えば、私達には全ての権限を有する神が必要です。と言っても、すぐに信仰を持つのも簡単ではありません。信仰への第一歩は、見えないから信じない、見えるから信じることでなく、ただ信じること、実残することです。純粋理性から実践理性へと、もっと高い次元に生きる価値を見つけ出すことが、人生の究極の目標です。従って、この日本的教育によって得られた結論は「私は誰だ」という問いについて、「私は私でない私」なのです。この答えによって、私は正しい人生の価値観を理解し、いろいろな問題へ直面する時にも、「自我」を排除して、客観的立場で正しい解決の方法を考えることができるようになりました。これが日本の教育を通して私に与えられた人生の結論でしょう。
これをもって私の講演を終わらせてもらいます。ありがとうございました。
おわり
【民主主義とは武士道の精神】(2006/9/20)
日本文化の優れた伝統を日本の教育で獲得できた私に、何かなされたでしょうか? これから説明しましょう。
昭和20年8月15日、名古屋城で終戦を迎えた私は数日を経て復員し、京都の下宿に戻ってきました。その時から時間はすでに61年経過し、私もじいさんになりましたが、一昨年、60年ぶりに家族4人でその日本を1週間訪問し、観光する機会を得ました。そこには戦前の日本人が持っていた真面目さや細やかさがはっきり感じられました。
この時に私が強く感じたことは、日本は戦後60年で大変な経済発展を遂げたということです。焦土の中から立ち上がり、ついに世界第2位の経済大国を造り上げました。政治も大きく変わり、民主的な平和国家として世界各国の尊敬を得ることができました。その間における人民の努力と指導者の正確た指導に敬意を表したいと思います。
もうひとつ感じたことは、日本文化の優れた伝統が進歩した社会で失われていなかったことです。日本人は敗戦の結果、耐え忍ぶしか逼はありませんでした。経済一点張りの繁栄を求めることを余儀なくされたのです。そうした中にあっても、日本人は伝統や文化を失わずに来たのです。強く記憶に残ったのは、様々な産業におけるサービスの素晴らしさでした。金沢では一流旅館ならではのきめ細かいサービスに驚嘆しましたし、新幹線も車内サービスの充実ぶりに目を見張りました。
「今の日本の若者はダメだ」という声も聞かれますが、私は決してそうは思いません。日本人は戦前の日本人同様、日本人の美徳をきちんと保持しています。確かに外見的には、緩んだ部分もあるのでしょう。しかし、それはかつてあった社会的な束縛から解放されただけで、日本人の多くは今も社会の規則に従って行動しています。
さらに私が感じたのは、日本人の国家や社会に対する態度がここへ来て大きく変わり始めたことです。戦後60年間の忍耐の時期を経て、経済発展を追求するだけでなく、アジアの一員としての自覚を持つようになりました。武士道精神に基づく日本文化の精神面が強調され始めたのです。
ここ20間、台湾にデモクラシーを持ち込んで、政治体制を変更した私が「『武士道』解題」を書き、副題にノーブレスオブリージェをキーワードとして、指導者たるべき者の心構えを説くことを考えれば、民主主義と武士道精神の間には、なんら矛盾がないと思います。デモクラシーと言うのは、個人のことを考えるだけではなく、国民の声を聞いて、国家のために働く、武士道の精神でもあるのです。
【生活の中の普遍的な美学】(2006/9/19)
日本文化の優れた面は、かかる高い精神性に代表される、即ち武士道精神に代表される日本人の生活にある哲学であると信じます。
心底からこみ上げる強い意志と抑制力を持って個人が公のために心を尽くす以外に、また日本人の生活にある美を尚ぶ私的な面があることも忘れてはいけません。
藤原正彦先生は「国家の品格」の書物の中で、日本人の生活内容を「情緒と形の文明」と強調しています。日本人の生活は、自然への感受性と調和であり、もののあわれ、さびとわびを生活の中に見つけ出す、日本人独特の、また、人間として普遍的になくてはならない美学があるのです。
華中国で老子は「道可道 非常道」と、道はロで言えるものでなく、口で言えるものは永遠に道ではな生活の中の普遍的な美学いと言っています。日本人は生活において花を生けるには花道を、お茶を飲めば茶道と言う様に、生活におけるあらゆる行為が道となっています。それが俳句や和歌という様な形で表現されて、自然との間に共生的関係を持っています。
これは世界の人々にはなかなか分かるものではありません。私が「『武士道』解題」を出版し、そして更に奥の細道を歩きたい気持ちは、日本文化の優れた精神性と美学的日本人の情緒を、何とか外国人や今の若い日本の人々に伝えようと考えたからです。
直感的に、私は芭蕉の著作「奥の細道」は、この様な日本文化の美を丁度よくまとめたものであると思っています。奥の細道で平泉に到着した芭蕉と曽良が見たのは金鶏山でした。そして昔を偲びつつ、呆然と立ち尽くして詠んだのが「夏草や兵どもが夢の跡」でした。時間を越えて華やかな過去がすべて一つの草むらにしか過ぎません。山寺を訪れては、蝉の声の潮と周囲の静けさの中で「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠みました。自然との調和、心にしみこんで何の説明もいりません。
芭蕉は旅情のはてりが醒めやらず、最後の気力をふるい起こし、海岸沿いに越後の国に入ります。出雲崎に泊まった時に詠まれた「荒海や佐渡に横たふ天河」は、壮大な景観と佐渡への思い入れの入った句でした。
以上の3句は、時間と空間、存在している景観を十分に情緒と形で表した日本人らしさの代表的なものでしょう。