陛下のご健康と、日本國と皇室が千代に八千代に続くことをお祈りいたします。
天皇陛下は二十三日、七十三歳の誕生日を迎えられた。
これに先立ち皇居・宮殿で記者会見し、九月に誕生した秋篠宮家の長男悠仁(ひさひと)さまについて「大勢の人々が悠仁の誕生を祝ってくれたことも心に残ることでした」と国民の祝福に感謝した。
以下会見全文だ。
――秋篠宮ご夫妻に、皇室にとって41年ぶりの親王となる悠仁さまが誕生されました。紀子さまのご懐妊を聞かれたときの陛下のお気持ちは、どのようなものだったでしょうか。また出産までの10カ月間、紀子さまをどのような思いで見守られたでしょうか。悠仁さまと初めて対面されましたときのお気持ちや参内されました際のご様子、男のお孫さまとしての教育のあり方についても、あわせてお聞かせください。
懐妊の兆候があることは聞いていましたが、安心な状況というばかりの話ではなかったので、検査の結果、順調に懐妊しているということを、宮殿で侍従長から聞いたときには、本当にうれしく感じました。
その後、秋篠宮妃にはつわりや大出血の可能性のある前置胎盤の症状が生じましたが、それを乗り越え、無事、悠仁を出産することができました。秋篠宮妃には喜びとともに、心配や苦労の多い日々であったと思います。予定日より早い帝王切開での出産でしたが、初めて会ったときには、立派な新生児だと感じました。出産に携わった関係者の尽力に深く感謝しています。
また、大勢の人々が悠仁の誕生を祝ってくれたことも心に残ることでした。悠仁の生まれたとき滞在していた北海道をはじめ、その後訪れた各地の道々で、多くの人々が笑顔でお祝いの言葉を述べてくれました。最近の悠仁の様子として目に浮かぶのは、私の近くでじっとこちらを見つめているときの顔です。
教育のあり方についての質問ですが、今は、秋篠宮、同妃、眞子、佳子の2人の姉に、愛情深く育てられていくことが大切だと思います。15歳になった眞子は、今年1年、非常に頼もしく成長したように感じています。きっと、眞子、佳子が悠仁の良き姉として、両親を助けていくことと思います。
――皇太子ご一家はこの夏、雅子さまのご療養を兼ねてオランダを訪問されました。陛下は海外でのご静養についてどのようにお考えでしょうか。また、その後の雅子さまのご回復の様子や、幼稚園生活を始められた愛子さまのご成長など、皇太子ご一家へ寄せられる思いも、あわせてお聞かせください。
このたびのオランダでの静養については、医師団がそれを評価しており、皇太子夫妻も喜んでいたので、良かったと思っています。皇太子一家を丁重におもてなしいただいたベアトリックス女王陛下ならびにウィレム・アレキサンダー皇太子、同妃両殿下に対し、深く感謝しています。
最近の愛子の様子については、皇太子妃の誕生日の夕食後、愛子が皇后と秋篠宮妃と相撲のすごろくで遊びましたが、とても楽しそうで、生き生きとしていたことが印象に残っています。
ただ、残念なことは、愛子は幼稚園生活を始めたばかりで、風邪を引くことも多く、私どもと会う機会が少ないことです。いずれは会う機会も増えて、うち解けて話をするようになることを楽しみにしています。
皇太子妃の健康の速やかな回復を念じていますが、身近に接している皇太子の話から良い方向に向かっていると聞き、喜んでいます。健康を第一に考えて生活していくことを願っています。
――今年は、いじめや自殺、虐待など、子供たちを取り巻く環境の厳しさがクローズアップされ、夏には故富田朝彦・元宮内庁長官が残した昭和天皇の発言に関するメモが明らかになり、靖国神社をめぐってさまざまな議論が起きた年でした。子供たちを取り巻く環境についてと、戦没者追悼について、どのようにお考えかお聞かせください。
今年は子供のいじめや自殺、虐待など、悲しい事件に多く接した年でした。子供を失った親の気持ち、いじめにあった子供の気持ちを察すると、誠に心が痛みます。
このようなことをでき得る限り防ぐために、親、子、先生が互いに信頼し合う関係を築いていくことが大切であり、子供たちが自分の立場とともに、他人の立場にも立って、物事を考える習慣を身に付けて育つように、親や先生が助けていくことが重要と思います。
近年、生徒が高齢者や障害者との交流やボランティア活動に取り組み、さまざまな立場の人々に対する理解を深める機会を作っている学校が多くなっていることは、心強いことです。私はこういう面に今日の教育の明るい兆しを感じています。
戦没者の追悼は、極めて大切なことと考えています。先の大戦では、310万人の日本人が亡くなりましたが、毎年8月15日にはこれらの戦陣に散り、戦禍に倒れた人々のことに思いを致し、全国戦没者追悼式に臨んでいます。
戦闘に携わった人々も、戦闘に携わらなかった人々も、国や国民のことを思い、力を尽くして戦い、あるいは働き、亡くなった人々であり、今日の日本がその人々の犠牲の上に築かれていることを決して忘れてはならないと思います。
私どもは今までに、軍人と民間人あわせて18万6000人以上の人々が亡くなった沖縄県や、2万2000人近くの軍人が亡くなった硫黄島、そして、昨年の戦後60年にあたっては、軍人と民間人あわせて約5万5000人の人々が亡くなったサイパン島を、追悼の気持ちを込めて訪れました。
救援の手が及ばない孤立した状態で、食料や水も欠乏し、死者や負傷者の続出する中で、とくに硫黄島では、地熱に悩まされつつ、敵の攻撃に耐えて戦ってきた人々の気持ちは、いかばかりであったか、言葉に言い表せないものを感じています。
また、原子爆弾を受けた広島市と長崎市は熱風と放射能により、広島市ではその年のうちに約14万人、長崎市では約7万人が亡くなりました。生き残った人々も後遺症に悩み、また、受けた放射能により、いつ病に襲われるかわからない不安を抱いて過ごさねばなりませんでした。
戦後に生まれた人々が年々多くなってくる今日、戦没者を追悼することは、自分たちの生まれる前の世代の人々がいかなる世界、社会に生きてきたかを理解することになり、世界や日本の過去の歴史を顧みる一つの機会となることと思います。
過去のような戦争の惨禍が二度と起こらないよう、戦争や戦没者のことが、戦争を直接知らない世代の人々に正しく伝えられていくことを心から願っています。
(関連質問)――戦没者追悼の気持ち、あるいは追悼の形について、昭和天皇と話し合いになったことで何か印象に残っていること、あるいは昭和天皇から伝えられたこと、ご記憶にありましたらお聞かせいただけますか。
追悼のことについては、うかがったことはありません。