2008年05月18日

●支那よ、聖火リレーどころでは!

080518.jpg発生から7日目を迎えた中国・
四川省北川県曲山鎮の中学校では、中国側の救助隊員とともに日本の国際緊急援助隊の活動も始まった。
人的支援をここまで拒否しながら今頃になってやっと受け入れた支那の責任は重い。
またこれだけの災害があったにもかかわらずを続けるとはどういう神経だろう。

支那の本音・・・10万人や20万人の被災者なんて大したことない、だろう。
そういえば昔、も言ってたっけ・・・200万人や300万人粛清しても大したことない・・・と。

             

2008年05月06日

●胡錦濤氏訪日

080506.jpg中国の胡錦濤国家主席は6日午後来日した。2003年の就任後初めての来日で、中国国家元首としては1998年の江沢民主席以来10年ぶり。
福田康夫首相と7日に会談し、72年の日中共同声明から4度目となる「日中共同文書」と地球温暖化対策に関する共同声明を発表する。

対中感情が悪化している日本に対して、パンダも使っての工作に終始するであろう。
チベット問題、五輪問題、ガス田問題・・・懸案事項は何ひとつ解決することはない。

福田首相と親中議員が喜んで終わるトップ会談になることは必死。
相変わらず外交とはいえないニッポンだ。

             

2008年04月01日

●たった1人の五輪ボイコット

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「北京はやめました」
 「砲丸は私の分身です。とても中国には出せない。大事に使ってくれる選手には申し訳ないが、職人としての意地があります」

最高の砲丸が日本で作られ、各国の砲丸投げ選手たちもこの砲丸を選択してきた。

これまでオリンピックに提供してきた辻谷政久さん(75)がこう決意し、4大会連続の偉業を断念し、砲丸の卸先の運動具メーカーに北京五輪用は作らないと伝えたという。

政府や国会議員たちの情けない態度に比べ、何とすばらしい決意だろう。
詳しくは、こちらの報道をぜひ参照いただきたい。

             

2008年03月16日

●勇気ある行動を支持!!

080316.jpg民衆による抗議デモ及び暴動が発生した。
支那政府からは「暴動はの策動」というコメント。
政府の必死の情報統制が目立つ情勢だ。
民主化を抑える暴挙、オリンピックを開催する資格などない。
国際社会でどんどんチベットに対する関心が高まってきている。このパワーを日本も大事にしたい。

この3月11日には、チベット民衆蜂起49周年記念平和行進が日本でも行われた。
1959年3月11日の民衆の抗議をきっかけに、中国共産党の弾圧、そしてダライラマ14世のインドへの亡命、中共軍による数万人のチベット人に無差別大量殺戮、そして長きにわたる圧政が続いてきた。
支那はこの時と同じ感覚を、いまだに持っているということを常に認識して日本政府は接するべきだ。

             

2008年02月24日

●安全野菜?

080224.jpg
農薬騒ぎの毎日、横浜中華街でも疑惑払拭に頑張っている。
たまたま通りがかったレストランの入り口に張ってあったのがこの写真である。
何と「我がレストランでは中国産の野菜は使っていない、日本各地の野菜です。農薬は安心ですよ」と言わんばかりである。
安心感はあるかもしれないが、ただでさえ中華料理といっても日本流になっているものがこれではさらに日本流だ。
海外で日本料理を食べると日本の食材以外が使われていると違和感があるし、それでは日本料理ではない。
同じように中華料理なら中華食材を使っていないと・・・・
そこまで表示すると、うまくなさそうだ。

             

2008年02月03日

●玲玲の電影日記

080204.jpg一昨年、「玲玲の電影日記」を見て気になっていた。
昨日、TV放映され楽しむことができた。
ニューシネマパラダイスと一部かぶさるような映画だが、中国映画にしては出来がいい。


映画を観ることを唯一の楽しみに北京で働く青年ダービンは、ある日、自転車で転んだ拍子に見知らぬ若い女に頭を殴られてしまう。警察に連行されたその女は、あろうことか金魚の世話をダービンに託し部屋の鍵を手渡すのだった。やむを得ず向かった部屋で目にしたのは、壁一面を覆う映画のポスターやスターのピンナップ、そして一冊のノート。どうやら彼女の日記らしいが、ページを繰るうちにダービンにとって懐かしい風景が甦るのだった…。

4日分の賃金を貯めてはダービンが映画館へ通うのは、普段の自分にはできないことを映画が体験させてくれるから。まるで目を開けたまま夢を見るように。文革真っ只中の1971年に中国西北部の炭鉱町に生まれた少女リンリンにとっても、まさにそのとおりだった。貧しく不自由な境遇にあって、野外映画館の大きなスクリーンに映し出される夢の世界に浸ることは何にも勝る喜びだったのだ。それは最愛の母や仲良しの少年と過ごした短かったけれど至福の時間でもあった。本作で脚本も手がけ監督デビューを飾った72年生まれのシャオ・チアンが、幼い頃の中国映画黄金期の体験を少女の日記に重ね、映画に夢を託すことができた時代を生き生きと描いている。

久しぶりにいい中国映画に出会った。


             

2006年10月09日

●戻れない瀬戸際外交

今日9日午前、がついにを行った

当然、国際社会は強く反発、国連での制裁論議は必至だ。もちろん日本も徹底的なに入るべきだ。

アメリカの譲歩も考えられないという「戻れない瀬戸際外交」。ここは各国一致して制裁に入るべきだ。バカな韓国もこれで少しは目がさめるだろう。

さらに北の展開次第では、一気に武力行使で金政権の壊滅に進めたいところだ。

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(翌10/10は新聞休刊日であったが「特別号外」が無料で配られた)

             

2006年08月19日

●クンユアム旧日本軍博物館

060819.jpg『日本人を見たこともないのに、冥福(めいふく)を祈る。自費で遺品を集め展示する。そこまでしてくれるのか。自然と頭が下がった。』

8月15日付産経新聞に掲載された特集記事「遺品博物館 見知らぬ日本兵の魂に祈り」の中に書かれている。(写真はタイ・ビルマ国境を目指し歩く日本兵)

タイとミャンマー(旧ビルマ)の間にある泰緬(たいめん)国境。
61年前、敗走した日本軍の兵士や看護婦ら3万人はここを越え、同盟国タイの玄関口、ホイトンヌン村にたどりついた。
生きて生きて生き延びた者だけが越えることができた国境だ。
しかし多くの日本兵は、この先日本への帰国は叶わなかった。

旧日本兵が残した遺品は約500点。1996年、遺品を展示した「クンユアム旧日本軍博物館」が現地の人の善意によってオープンした。

入場料は10バーツ(30円)。来館者の大半はタイ人だ。女子高生は訪問ノートにこう書き残した。
「大切な任務とはいえ、こんな遠い所で死んでいった兵士はどんなに寂しかったでしょう。残された家族の代わりに祈ります」

異国の地で亡くなった日本兵の冥福を祈ってくれている方々が、タイの奥地にいるなんて素晴らしいことだ。

この記念館を建てた警察中佐 チューチャイ・チョムタワット氏はこの功績を認められ、本年6月13日、タイ王国・チュラロンコン大学にて日本からプミポン国王在位60年のお祝いに訪れていた明仁天皇と美智子妃殿下に謁見する機会を与えられた。 

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