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2005年11月25日

●三島由紀夫没後35年

三島由紀夫が亡くなってから今日で35年になる(生誕80年)。
多くの著作に触れていただけに、35年前の市ケ谷での出来事には驚いたものだった。
しかし事の次第が伝わるにつれ、彼の生きざますべてが市ケ谷に繋がっていくのが浮き彫りになり、妙に納得したものだ。

当時から「右翼の代表・三島由紀夫」という扱いが進歩的文化人によって形づくられてきたが、本質は愛国者であり日本が日本であって欲しいと、強く願っていたひとりだった。

彼は当時の様々な動きが、日本の「プライド」さえも失わせることに繋がると思っていたのではないか。そして、その憂いを市ケ谷での主張によって果たそうとしたが、期待していた日本人としてのプライドが半ば失われていると判断した結果、割腹を選択したのではないか。勝手な想像だがそんなふうに思えてならない。

没後35年の今年はドキュメンタリー映画「みやび 三島由紀夫」が完成、また三島文学「春の雪」が映画化された。前者は作品を通して現代の芸術家らが語る三島論を映像化したもの。「春の雪」は三島の考える「美」を忠実に表現した作品として評価されている。久しぶりに観た古くからの日本映画らしい作品だ。
この時期いろいろな場で三島由紀夫が注目されてきていることは、素晴らしいことだし日本の誇りでもある。来春には自らが演じた「憂国」が、久しぶりにDVDとして日の目をみる予定だ。ぜひ今の若者には三島文学にふれてほしいものだ。□

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コメント


「三島由紀夫が亡くなってから今日で35年になる【(生誕80年)】。」……へ?
で、Wikipedia行ったら、「三島 由紀夫(みしま ゆきお、1925年1月14日 - 1970年11月25日)」。大正14年生まれだったんですね。愚父と同い年。はぁ~。今でもこの写真の印象が強いですからね。
高校のとき、翌朝新聞第一面の大きな写真で、左下隅に2つ並ぶ分断された頭部をみつけたときは、ショックでした。真っ先に駆けつけたのは、川端康成でしたっけ?
ただし、当時の論調としては、否定的なものしか記憶にないです。
今から思えば、高校生も朝日ジャーナル読んでるような時勢、その手の論調しか目に入ってこなかったのですね。
変われば変わったものです。やっとまともな方向に、ですね。

shibuさん、確かに当時は狂人扱いでした。もっともマスコミも極左流行でしたから、そうしか論評しなかったんです。
ですから尚更本質についてはすっ飛んでしまったような気がします。
今あらためて研究が活発化したことは頼もしいことです。^_^;

私も映画「春の雪」を観てその芸術性の高さに圧倒されました。各評論を見ると三島文学を見事に映像化した映画ということで評価が高いですね。
三島の有名な「無機質でぬけめのない・・・」日本の未来論、今の日本は全く三島の言うとおりになって居ます。
豊穣な文化芸術の感性を持っていた三島は、現在の日本文化の衰退・亡国の危機を憂いて、魂となった今でも尚、市谷で切腹し続けているのではないか?とすら思えて、切なくなります。

>kitsさん、いつもありがとうございます。35年前というとちょうど学生運動真っ盛り。誰もが体制に反する時代に、楯の会の若者は大きな視野で日本の姿を論議していたのをみて、目線が違うなぁと思ったものでした。三島も永い目で日本を洞察することを若者に教えていたんでしょうね。
「春の雪」のDVDが出たら購入しようと思っています。


こんばんは!

>当時から「右翼の代表・三島由紀夫」という扱いが進歩的文化人によって形づくられてきたが、本質は愛国者であり日本が日本であって欲しいと、強く願っていたひとりだった。

当時はギリギリこの世に生受けておりませんでしたが、60年安保以来の左旋回がトレンドで、台湾や韓国は「反動政権扱い」だったとか。(まぁ、左から見た右という以外の要素的には間違いではないのでしょうが)

川端康成共々4惜しまれる人材でしたねぇ。

>tsubamerailstarさん、左旋回は絶対的トレンドでした。少年ジャンプなんか抱えているのは非国民扱い。朝日ジャーナルが主流でした。
まともな愛国者も犯罪者扱い。自分の国が好きなのになんで文句あるか?が 通用しない時代でした。

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