2005年04月30日

●続・台湾は台湾!

媒體報導中共總書記胡錦濤(新聞、網站)在連胡會中,主動提及「如果兩岸回到九二共識的基礎,消除敵意,若兩岸簽訂和平協定,自然可撤除飛彈。」

1945年重慶会談から60年、中国国民党と中国共産党のトップ会談が29日に北京で行われた。中台の敵対状態を終結させ、平和協定締結を促進するなど、中国の反国家分裂法制定などで悪化した中台関係の改善と発展を目指す5項目に合意したということだが、台湾の政治の代表ではない連戦が・・・。
連戦は会談後の記者会見で「胡総書記の反応は前向きだった。われわれは与党ではないが、中台関係を促進できると信じている」と会談の成果を誇示したとのことだが、勘違いが大きいのでは?
台湾アイデンティティ確立に水を差す、極めて重大かつ卑劣な売国行為といえる。ヨイショに乗っかるバカな政治家はどこにもいるようだ。あきれてモノが言えない・・・・。
台湾人よ、国民党の勝手な行動に対し、大いに怒ってほしいものだ。□

             

2005年04月28日

●台湾は台湾!

支那にご忠臣の紅の傭兵(河野洋平)が売国奴であるように台湾にも似たような(しかしずっと高度な)傭兵がいる。台湾の第一野党・国民党党首の連戦だ。
支那共産党に招待され尻尾を振って出掛けていった。
昨日は孫文の墓である中山稜に参拝し今日は北京入り。野党第二党の親民党も招待されており支那詣が計画されているという。台湾もいよいよ支那入りなのだろうか。与党民親党からの陳水扁総統は、支那との裏バイプがないだけに野党の支那詣がどういう意味を持つのか難しいところだ。
台湾経済優先の与野党共闘?、野党と支那との第三次国共合作?、二年後の総統選挙にむけた経済面での国共合作?・・・・・。支那は民度の低い低能国家だが中長期国家戦略は優っている。悔しいことだが日本との落差は大きい。どう展開されるのかわからないが第三者の言葉で言えば、「台湾はいつまでも台湾であってほしい」だけだ。□(通勤車中にて)

             

2005年04月26日

●今や経済制裁!

北朝鮮による拉致被害者と家族会、支援団体による全国集会が24日東京日比谷公会堂で開かれた。約6千人が集まり早期解決の決意を新たに確認するとともに政府に対し言動一致を訴えた。
また、昨日25日には新たに一名が拉致被害者と認定され合計15人、うち帰還者5人となった。しかし別人の骨を渡されて以来全く進展もない状況については、政府の怠慢であり自国の民を守るべき責務の放棄と言わざるを得ない。
これまでの成果を以て幕引きを意図しているとしか思えない態度はすぐに改めるべきだ。ましてこの問題は六ヶ国協議とは関係ないことであり、日本国として北に対して、拉致した全員の引き渡しを'継続的'に強く要求すべきだ。さらに国連の場に再度持ち込むことも必要だ。
早々に北の態度が変わらないのであれば経済制裁を実行すべきである(実際はすでにその段階に入っている)。
それも段階的に強化するより、イッキに最もダメージにつながる制裁からスタートすべきだ。遅くなれば遅くなるほど制裁を実行しにくい環境になるのは明らかだ。□ (通勤車中から)

             

2005年04月23日

●おわび演説

小泉純一郎首相が22日にジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)50周年記念首脳会議でおわび演説をした。

『50年前、バンドンに集まったアジア・アフリカ諸国の前で、わが国は平和国家として、国家発展に努める決意を表明したが、この志にいささかの揺るぎもない。わが国はかつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを常に心に刻みつつ、第二次世界大戦後一貫して経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を堅持している。今後とも、世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意であることをあらためて表明する。』

多くのブログで賛否論評が繰り広げられているが、またか・・・という思いだ。今回のおわび演説では後半部分が大きな主張になっている。しかしそれは日本側だけが理解できることであり、支那や韓国は無視をするだろう。
案の定支那、韓国からのコメントは『表明自体は歓迎する。だが、より重要なことは、口頭だけではなく、実際の行動で示すことだ。反省は誠実で行動を伴わなければならない。口だけの謝罪で意味がない。』

己の国がこれまでどんな歴史をつくってきたか直視してみろと言いたい。


謝罪も賠償もきっちりけじめがついているにも関わらずいつまで日本は同じことを繰り返すつもりか。結局小泉外交も国家の尊厳を崩すことにつながってきた。支持率ガタ落ちは間違いないが早期引退を求めたい。

             

2005年04月18日

●抵制支那

「抵制日貨・愛国無罪」というスローガンが支那全土で叫ばれた17日、予想通り外相会談では支那から「我々に責任はない」という見解が示された。
国家の一部として存在する施設(大使館・領事館)や企業への破壊行動、日本人への暴行、メディア拘束に対して制止行動も行なわない放置(非法治)国が隣国という現実にゾッとする。

なぜこうなったのか・・・・。それは1972年の日支友好条約が日本を支那の属国にすることを目的に交わされたことがスタートだと思ってる。直前にあったピンポン外交も支那の戦略の一部だ。しかし殆どの政治家はそれ以来北京詣に夢中となってしまったのだ。巧みな戦術に乗せられ、政治・経済・教育・メディアは殆ど骨抜き寸前の状態まできてしまったのが現実だ。

しかしここにきて良識ある国民による国家自立と尊厳の回復を目指した動きが多発してきたことから(ブログの影響も大)、支那の焦りがこういう形で露呈したというのが実情だと思っている。ただ日本がここで安易に妥協したら再度支那の戦略に呑みこまれることを認識しておかなければならない。

ここは一点、支那が「抵制日貨」と叫ぶなら、日本は「抵制上海万博・抵制北京五輪」でいきたいものだ。□ (通勤電車にて)

             

2005年04月17日

●さらば高田渡

フォーク歌手の高田渡氏が16日北海道釧路市の病院で死去した。享年56歳。
思想的には相反する立場であるが、フォーク界の吟遊詩人とも言われ関西を中心に絶大な人気を誇ってきた人物だ。
今の時代の歌い手とは違い厚みと深みの歌声はもう聞くことはできない。

'97年4月4日にガンでなくなった愛妻KUROさんの後を追うように、ちょうど3年後の'99年4月3日に自死された西岡恭蔵氏、'99年6月24に高血圧性脳内出血のため死去した村下孝蔵氏に次いで素晴らしいフォーク歌手が去ってしまった。残念なことだ。

「秋は 秋からは 浮浪者のままでは眠れない」という『生活の柄』、「酒が飲みたい夜は 酒だけではない未来へも口をつけたいのだ」「夜明けは誰のぶどうの ひとふさだ」という魅力あるフレーズの『酒が飲みたい夜は』等々たくさんんの曲を残して去った。

三年くらい前だったか、タイを歌う豊田勇造氏、友部正人氏とともに共演した「吉祥寺マンダラ2」でのライブを楽しんだのが最後となった。

             

2005年04月16日

●河野支那人を箱根に案内

「紅の傭兵」こと河野衆院議長が、来日した路甬祥・全人代副委員長に反日デモで自制を促したというニュースが一昨日伝えられた。

そして今日16日、上海で2万人に達するとみられる反日デモが行われ、日本総領事館に向かって石やペットボトルなどを投げ、窓ガラス十数枚が割られた。また日本料理店やコンビニなど10軒以上の看板などが壊された。
公安も暴挙を制止することなく「官民一体」のデモ・暴動であることがはっきりした(支那には器物破損罪や不法侵入罪、放火罪等の法律はなく、法治国家というより放置国家であるようだ)。中国共産党の指導の失敗をはぐらかすための反日利用は、世界的にも笑いものであると同時に批判として浸透してきた。まったく許されない行動だ。
明日17日の外相訪中で謝罪と補償を求めることになるが答えは責任転嫁だけであろう。数人拘束したりして警備の正当化をするが、あれは警備の類ではない。
今、支那へ観光に行こうとしている方々は、ぜひキャンセルして抗議してほしいものだ。
そんな騒ぎがあった当日、なんと河野洋平が路甬祥を箱根観光につれていった。
たまたま箱根関所跡にいったとき目撃したが、相変わらず大陸ベッタリのこの無神経ぶりにはあきれた。
一般議員ならともかく衆議院議長という立場で、この時期に平気な顔していわば全人代の代表格の支那人を案内する感覚は許されるものではない。もっとも昨年も立場を忘れて売国的発言をしているが・・・。

きっちり証拠をカメラで押さえておけばよかったと後悔しているが、その時はカメラを構えることすらアホらしくてできなかった。同じ神奈川県民として情けない・・・。
紅の傭兵のバカさと非常識をTBで拡大いただければ嬉しい。
(17日一部追記)

             

2005年04月14日

●ソンクラーン

4/13日から15日は、タイのお正月「マハ・ソンクラーン」(水かけ祭り)だ。タイではもっとも賑わうお祭りで周辺国のミャンマー、カンボジア、ラオスにおいても祝われる。
タイでは西暦、旧暦、ソンクラーンの三回お正月があり12月から4月まで「HAPPY NEW YEAR」の垂れ幕、看板をあちらこちらでみることができる。

ソンクラーンの前日の夜には、人々は自分の家をきれいに掃除し、ゴミを全て燃やす。日本でいう大掃除だ。去りゆく年の悪いものが新年まで残っていると持ち主に不幸が訪れると言ういわれからきている。
13日の初日は、お寺や僧院に行って僧侶に食べ物を奉げ、午後には仏像を洗う儀式があり、この儀式の後に始まるのが「水掛け祭り」だ。この3日間人々はお互いに水を掛け合って楽しむ。もちろんこれも祈りであり、耕作期に十分な雨が降るようにという願いが込められている。
一度だけこの時期にタイへ行ったことがあるが見事に水をかけられた。もっともこの時期は一年で最も暑く乾燥した時季を迎えつつあるので気持が良かったが・・・・。
(都内でも毎年この時期に水掛祭りが行われていたが今年はなぜか中止になった。)

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