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2004年12月28日

●産経抄筆者交代

毎日の楽しみである産経新聞の名物コラムである「産経抄」の筆者が交代となる。
35年間毎日筆を奮っておられた石井英夫氏が、本日2004年12月28日をもって最後となった。仕事納めの日に終るというのも石井氏らしい。
すばらしい視点と感性で長年楽しませていただいたし、勉強もさせていただいた。多くのファンをもつ石井氏はいくつかの著書もあり際立って魅力的かつ正論のコンテンツだ。爽やかに締めくくる「産経抄」を転載させていただきお礼としたい。ありがとうございました。

「産経抄」平成16(2004)年12月28日[火]
ことしを象徴する漢字は『災』だったが、年が押し詰まったところで地球的な“大災”が発生した。スマトラ島沖巨大地震の大津波では、万を超える人びとが波にさらわれた。日本人ツアー客にも多数の犠牲者がでているという。

 ▼被害の広がりが気になるところだが、きょう二十八日は「仕事(御用)納め」。歳時記に「古筆も洗ひて御用納かな」(瓜青)の句がでていた。ところでもう一つ納めるものがある。小欄・産経抄も本日をもって筆者交代いたします。それが何と三十五年間も長居をしてしまっていた。

 ▼日ごろ愛唱する言葉に「花は愛惜(あいじゃく)に散る」と。道元『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』のなかの詩句だが、ナニあの難解膨大な書物を読み通したのではない。教えられて聞きかじった言葉で、何事も惜しまれているうちに散れという戒めだったが、つい忘れていた。

 ▼某夜、酒席で作曲家の船村徹さんから「お前さんの産経抄には毒がある」といわれたことがある。「ただし毒にも薬にもならぬコラムはコラムじゃない」とも。それを聞いてにんまりした。なぜなら、ひそかに耳かき一ぱいほどの毒を盛ることを常としてきたからだった。

 ▼「戦争に大義は無用である」「(従軍)慰安婦は国家の下半身だった」「反戦平和ほどうさん臭いものはない」「学校教育に強制は不可欠である」「日の丸・君が代のどこが悪い?」などなどと。とにかく時流に逆らうことばかり書き続けてきた。

 ▼そういうへそ曲がりで時代遅れの小欄にとっては、年貢の納め時がきたというべきかもしれない。晩唐の詩人・杜牧の一節に「長空 碧(みどり)杳杳(ようよう)たり/万古 一飛鳥」と。担当は石井英夫でした。ありがとうございました。明日から小欄は新しい視点と切り口で再生いたします。

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コメント

こんにちわ。
いきなりでしたですねぇ。もちろんこりゃちょいと違うぞというのも多々あったですけれども、参考にはすべき視点をいつもズバリと切り込んでおられて毎朝最初に目がいくコーナーでした。

さて後任はどなたがなさるのか、どなたにしろたいへんではありますでしょうネ。

shibuさん、ようこそ。35年毎日は大変な偉業ですね。そう、後任がある意味では大変ですね。(^_-)

TBどうもー。
嫌味やお世辞では無しに、
この新聞あってこのコラムあり、ってのが「産経抄」でした。
俺のように心情「サヨク」の人の中ででも、
さみしがる人とか多いと思いますよ(w。
本日付のコラムの最後の言葉は、
俺としては悔しいくらいにさわやかでしたね。

おはようございます。
今朝は少々お尋ねです。_(._.)_

閑なんで、ちょっくら喫茶店(珈琲専門店)でもやってみようかなと、日本の珈琲会社やら大連の日本珈琲宅配(主に日系企業)会社に当たったり、不動産屋に店舗紹介してもらって見たりしています。

で、大連賓館(旧大和ホテル1909年開業)気に入ってコネつけてるwところです。

豆は支那で手に入るのは難(はっきりダメ)でして、今は日本から輸入という感じなのですが、フト気がついたらベトナム珈琲がありました。

私はアラビア珈琲とか濃い目が好きで(店も大連に美味くて綺麗なところないから半分以上道楽ですw)、確かベトナム珈琲も深入りコンデンスミルク使った濃厚な感じでしたですよね?

あのアルミのドリップ器具も面白そうだし、俄然興味が出てきました。どうせ輸入するなら日本からもベトナムからも同じです。手続は自前でできます。

各サイト覗きましたがバッチリというところは未だないです。

ethnicさんは、どこかお心当たりありませんか?

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