2004年12月31日

●2004年は「災」

年の世相を表す今年の漢字の「災」が12/13に京都市の清水寺で発表された。台風23号、新潟県中越地震、猛暑などの天災に加えイラクでの人質殺害などを反映しての選択であった。
さらに、26日午前8時(日本時間午前10時)ごろ起きたスマトラ沖大地震と大規模の津波災害によって多くの人(30日現在約12万人)が犠牲になったなど、年末ギリギリまで「災」の連続だった。

和紙に筆で「災」の字を揮毫(きごう)した同寺の森清範貫主は「災いが転じて和を招くように、来年は心一つになって世界も日本も和む年になってほしい」と話していたのが印象的だ。

ちなみに1995年 : 震、 1996年 : 食、 1997年 : 倒、 1998年 : 毒、 1999年 : 末、 2000年 : 金、 2001年 : 戦、 2002年 : 帰、 2003年 : 虎、 2004年 : 災 という10年だ。

大晦日は全国的に静かな雪の一日となった。まもなく迎える2005年が安らかないい年であってほしいと願うばかりだ。

(「何でも書き書きエッセイ」を読んでいただいた方、来年もいろいろ書き書きしますのでぜひ時々遊びに来てください。ありがとうございました。)

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●登輝氏を門前払い

もし本当のことならとんでもないというニュースが入ってきた。メールマガジン「台湾の声」からの配信を転載する。

『台湾のテレビ局TVBSの報道によると、李登輝氏は本31日、予定通り母校である京都大学を訪問しようとしたところ、同大学は中国の圧力に屈し、門前払いを行なった。そのため李登輝氏は、校門から10メートル離れた場所から母校を眺めただけで、引き返さざるを得なかった。

今日になっての突然の門前払いについて大学側は、自治法によって警察官は構内に入れず、李氏の安全確保に問題があるため、などと説明した。』

2002/11/24李登輝閣下が慶応大学三田蔡で講演する予定だったが、支那の圧力で中止されたことがあった。同じように天下の帝国大学が卒業生だった李閣下の訪問を当日になって拒否するなんてことがあってはならないし、非常識かつ大変失礼なことだ。時間とともに事実が明らかになってくるのを待ちたい。[2004/12/31PM4:30]

日本李登輝友の会からの発表内容は以下のとおり。
まったく信じられない大学の対応だ。[2004/12/31PM6:00]

大学側は、『大学の自治』を盾に、警護する警察官の入構を認めないと通達し、安全を考慮した李氏側が学内に入ることを断念した。中国政府が京都大学に対して「李氏の訪問を認めるな」と脅迫していることが数日前の台湾日報で暴露されており、京大が屈したという見方が広まっている。事前の通告にもかかわらず、当日になって大学側が拒否した背景には、中国政府の脅迫と日本国内の世論の板挟みを恐れたものとみられる。李氏は、結局、構内に入ることを断念し、そぼ降る雨の中、校門前から母校の雄姿(?)を見上げていた。

             

2004年12月30日

●李閣下、金沢ご訪問

27日の名古屋空港には八田與一氏のご令息・八田晃夫ご夫妻(写真)も奉迎にみえられた。そして昨日は、八田與一氏の胸像が台湾から贈られた金沢の「ふるさと偉人館」をご訪問された。
続いて日本三名園の一つ兼六園を散策。陶芸家の大樋長左衛門氏の窯元を訪れ、へらで茶わんに「誠実」「和」などの文字を彫り付けるなどして楽しまれた。
80歳をすぎてやっと思い出の地を楽しむことができて本当によかった。後半三日間は京都。どうか素敵な旅でありますよう・・・・。

             

2004年12月28日

●産経抄筆者交代

毎日の楽しみである産経新聞の名物コラムである「産経抄」の筆者が交代となる。
35年間毎日筆を奮っておられた石井英夫氏が、本日2004年12月28日をもって最後となった。仕事納めの日に終るというのも石井氏らしい。
すばらしい視点と感性で長年楽しませていただいたし、勉強もさせていただいた。多くのファンをもつ石井氏はいくつかの著書もあり際立って魅力的かつ正論のコンテンツだ。爽やかに締めくくる「産経抄」を転載させていただきお礼としたい。ありがとうございました。

「産経抄」平成16(2004)年12月28日[火]
ことしを象徴する漢字は『災』だったが、年が押し詰まったところで地球的な“大災”が発生した。スマトラ島沖巨大地震の大津波では、万を超える人びとが波にさらわれた。日本人ツアー客にも多数の犠牲者がでているという。

 ▼被害の広がりが気になるところだが、きょう二十八日は「仕事(御用)納め」。歳時記に「古筆も洗ひて御用納かな」(瓜青)の句がでていた。ところでもう一つ納めるものがある。小欄・産経抄も本日をもって筆者交代いたします。それが何と三十五年間も長居をしてしまっていた。

 ▼日ごろ愛唱する言葉に「花は愛惜(あいじゃく)に散る」と。道元『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』のなかの詩句だが、ナニあの難解膨大な書物を読み通したのではない。教えられて聞きかじった言葉で、何事も惜しまれているうちに散れという戒めだったが、つい忘れていた。

 ▼某夜、酒席で作曲家の船村徹さんから「お前さんの産経抄には毒がある」といわれたことがある。「ただし毒にも薬にもならぬコラムはコラムじゃない」とも。それを聞いてにんまりした。なぜなら、ひそかに耳かき一ぱいほどの毒を盛ることを常としてきたからだった。

 ▼「戦争に大義は無用である」「(従軍)慰安婦は国家の下半身だった」「反戦平和ほどうさん臭いものはない」「学校教育に強制は不可欠である」「日の丸・君が代のどこが悪い?」などなどと。とにかく時流に逆らうことばかり書き続けてきた。

 ▼そういうへそ曲がりで時代遅れの小欄にとっては、年貢の納め時がきたというべきかもしれない。晩唐の詩人・杜牧の一節に「長空 碧(みどり)杳杳(ようよう)たり/万古 一飛鳥」と。担当は石井英夫でした。ありがとうございました。明日から小欄は新しい視点と切り口で再生いたします。

             

2004年12月27日

●李登輝閣下来日

27日、台湾の李登輝前総統(81)が家族との観光旅行のためついに来日された。来年1月2日までの滞在中、名古屋や金沢のほか、学生時代を過ごした京都を訪問し、恩師らゆかりのある人と会う予定だ。
李閣下の来日は、心臓疾患の治療目的で大阪、岡山を訪問した2001年4月以来だが、観光ビザでの入国は初めてとなった。 
李閣下は京都帝国大(現京大)農学部に学び、学徒動員で陸軍に入隊後、名古屋で終戦を迎えた。名古屋訪問は戦後初めてで、京都は三十数年ぶりとなる。京都では京大時代の恩師と再会予定。新幹線にも初めて乗車する。曽文恵夫人(78)、孫娘(23)のほか主治医、警護員が同行している。

名古屋空港では台湾出身の在日華僑や留学生、日本李登輝友の会、在日台湾同郷会、台湾研究フォーラムなどのメンバーら約300人が「李登輝総統歓迎」の横断幕を掲げて出迎えた。念願だった来日、わずか一週間であるがぜひとも楽しんでいただきたい。
日本李登輝友の会でも歓迎行事は行わず、旅行を楽しんでいただくことを第一とした。次は奥の細道をぜひ歩いて欲しいものだ。

*** 日本李登輝友の会から李登輝閣下に届けられた歓迎メッセージ ***
平成16年(2004年)12月26日

 李 登 輝 先生

                      日本李登輝友の会
                          会長 小田村 四郎

 先般は私ども日本李登輝友の会の会員が「李登輝学校台湾研修団」でお世話に相成り有難うございました。
 さて、このたびは念願のご来日が実現し、心からお祝い申し上げます。
 今般は奥様などご家族とご一緒に来日されるそうで、私ども日本李登輝友の会としては、その目的の一つに李登輝先生の来日実現を掲げてこれまで活動してまいりましたので、真に慶びに堪えないところでございます。日本国民の大多数も心から歓迎しております。
 ご家族とともに来日されてからは名古屋をはじめ、鈴木大拙や西田幾多郎、あるいは八田與一を生んだ金沢や母校京都大学のある京都などを見て回られると伺っております。また、元旦を日本で、それも思いで深い京都で迎えられるそうで、その感慨はいかばかりかと、これまでの来日経緯を思い起こしますと私も感慨一入でございます。
 どうか存分に日本の美しい風景と年末年始をご堪能いただき、無事にご帰国になることを心からお祈り申し上げております。また、来年、暖かくなりましたら、ぜひ奥の細道を散策にいらっしゃっていただきたく念願しております。

             

2004年12月25日

●政府コメント

24日、北朝鮮拉致問題に関する北からの資料と報告内容についての疑問点・矛盾点が政府から発表された。その内容については多くの場で論じられているのでそちらに譲るとして、結果と今後の対応についてのコメントについて記す。
先週の段階では「北に対し再調査のやり直しを求める」というコメントであったが、昨日は「(金正日の指示した白紙に戻したうえでの)再調査とは言い難い」となった。
北が出してきたものを再調査結果と評価・認識していること自体ピントがずれていた。実務者協議の後に北なりに努力をした、などとコメントしたことと同じレベルだ。あれだけの問題をもつ結果が「再調査」と言えるわけがない。この部分の表現が今回の発表で訂正されたことは評価に値する。

また、「誠意ある回答が得られない場合は経済制裁の検討も」と言っていたが、「誠意ある回答が得られない場合は経済制裁も視野に」となった。
一歩進んだことは評価できるが、ここでのコメントは「誠意ある回答が得られない場合は経済制裁の実行も」と表現すべきではないだろうか。
ちょっとした言葉の使い方によって表現される意思は大きく異なる。また政府コメントを発表する細田官房長官の声、表情は実に貧弱だ。あれでは強い意思は伝えられない。発声練習でもしたらどうか。

さて、家族会は「真相究明はもういい。一刻も早く帰せ」て言っているが当然だ。すでに拉致被害者家族の我慢も限界にきていることを政府は認識すべきだ。□

             

2004年12月22日

●大型買収

我が初代PCマシンは10年前になるがIBMだった。当時から常に最新の技術を取り入れ、特にノートタイプでは強固なボディでユーザーの共感を集めた。しかし製品のステイタスが高まったものの、より軽く、薄く、安く、スビーディーな供給を求めるユーザーニーズとの間に乖離が生まれた。その結果PC事業は確実に低落傾向を示した。
結局マシンにおけるユーザーニーズへの対応はとれないまま、中国「聯想(レノボ)グループ」への売却(17億5000万ドル)となった。いわばPC分野における利益改善努力なしに、儲けることができるサービス・ソリューション事業にシフトしたといっていいだろう。
企業の経営が規模やシェアに関係なく対応如何によって大きく変わってしまうことを示した事例だ。
そういえば映画「2001年宇宙の旅」でHALという名前のコンピュータが登場したが、IBMの一字下隣の文字で構成された名前だ。当時からダウンサイジングを予測していたのだろうか。□

             

●ビザ発給

昨日12月21日に李登輝閣下に観光ビザ(15日間)が発給され、来週27日に来日することになった。
案の定、支那は反発を強めている。王駐日大使からは戦争ということばさえでている。また、大型工事受注も難しくなるというような示唆もなされた。ビザを取り消さないなら考えがある、という態度だ。
町村外相は相変わらず私人としての訪日であり断る理由がない、という消極的コメントだ。ここは「渡航の自由を認めた民主国家のルールに照らして判断した」と言って欲しかった。
内政干渉もいい加減にしてほしいものだ。また騒ぎに配慮し李閣下自身が自ら訪日を取り消すようなことは絶対あってはならないし、それを誘導することがないように願っている。□

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