2008年05月11日

斎藤真一心の美術館

msaito.jpg瞽女さんといえば山形県天童市にある斎藤真一心の美術館「出羽桜美術館別館」でたくさんの絵をみることができます。
今年は、3月13日~ 7月13日の間、「越後瞽女日記」が展示されています。
多くの瞽女の遍歴した足跡を記録されました。
そして瞽女の心象の世界を描き続け独自の画境を生みだしました。
劇団文化座の「瞽女さ、来てくんない」公演チラシの絵は斉藤真一氏によるものです。

機会があればぜひお立ち寄りください。
ごぜ文化の一端を知ることもできるでしょう。

2007年06月16日

Goze (go-ze’)

In Japan “Goze” (go-ze’) means a blind female who travels around villages to entertain local people with her stories, popular songs, ballads, and so on for a living.
In the Edo era (1603-1867) many Goze were seen everywhere throughout Japan, except Hokkaido. After the Meiji era (1603-1867), their activities gradually declined due to the spread of radio and TV.
However, in some local areas, especially in Niigata-prefecture, Goze continued, with their popularity lasting up until 1977 in the Showa era, when Goze finally ceased their trade.

Goze songs played an important role as one of the Japanese traditional entertainments. Naoko Kayamori, pupil of Haru Kobayashi, who was the very last Goze (1900-2005), is one of the few people to hand down Echigo (Niigata area)
Goze songs to our generation.

2007年05月02日

瞽女顕彰碑

kensyouhi.jpg平成12年11月5日、新潟県黒川村(現・胎内市)の胎内やすらぎの家の敷地内に瞽女顕彰碑が建てられました。
盲目の女性たちが、室町時代以来日本の文化を築き伝承してきた瞽女文化の業績を顕彰することを目的として「瞽女文化を顕彰する会」が建立しました。
左側にある石には下記の碑文が掘り込まれています。

瞽女
盲目の女性芸能集団越後瞽女
三味線を弾き語り物や唄い物を
演じて越後から関東甲信そして
北陸や東北各地まで旅を続けた越後瞽女
近世から昭和期まで厳しい風土の中で
人々と共に楽しみ支えあったその芸は
日本の伝統文化の形成伝播の上で大きな
役割を果たして来た
ここに
越後瞽女の業績を称えるとともに
その心と芸を後世に語り伝えたい


kensyouhi_plate.jpg顕彰碑にはめ込まれたレリーフは、ごぜを描き続けた故斉藤真一の作品、大きな荷を背負って歩く瞽女の後ろ姿です。

斉藤真一は、越後、信濃に瞽女を訪ね歩き、多くの瞽女の遍歴した足跡を記録しながら、瞽女の心象の世界を描き続けた画家で、山形県天童市にある出羽桜美術館分館には彼の作品が常時展示されています。


瞽女文化を顕彰する会 事務局
〒951-8053 新潟市川端町2-11-6
電話、FAX  025-222-7940

2007年04月16日

瞽女(ごぜ)さん

goze_tabi.gif瞽女(ごぜ)とは、三味線を携えて村々を旅し、語り物・流行唄・民謡などを歌い歩いた盲目の女性を中心とした女旅芸人のことです。
370年以上の伝統を持ち、室町時代に鼓を打ちつつ曽我物語などを語る盲女がいたことが始まりではないかといわれています。

その後、沖縄から三味線が伝わり盲目の琵琶法師たちによって改良され普及し始めると、彼女達はいち早くそれを取り入れ、盲目の女性だけの芸能集団を作り上げました。

近世に入り、城下町を中心に諸国で地域的なまとまりのあるごぜの自治集団が形成されていきました。江戸期には全国的にごぜの姿を見ることができたようです。
しかし、いく度もの繁栄と衰退を繰り返しながらも、明治以降は衰退の一途を辿ることになったのです。それでも越後地方においては昭和の時代まで栄え、昭和52年にごぜが最後の活動を終えるまで続きました。
特に新潟では長岡市と高田市を中心に数多くのごぜ組があり、明治20年代には長岡組が400人近く、明治34年に高田組が97人のごぜを擁していたといわれています。

瞽女(ごぜ)