2007年12月21日
ごぜ唄が聞こえる公演 vol.1
【一の段】
ごぜ唄公演「ごぜ唄が聞こえる」が2007年12月14~15日に行われました。
ブローダーハウスとの共同企画・制作です。
今年三月の早朝、東名高速道路を走っていたとき、ラジオ番組で偶然ごぜ唄を聞き、胸が高鳴ったのがきっかけだったんです。方言が強く意味がわからない唄でしたが、ずしんとくる響きにハンドルをとられそうになったくらい衝撃的でした。
それまでは、水上勉の書いた「はなれ瞽女おりん」の映画を見た記憶しか私のなかにはありませんでした。
帰京後ネットで調べたら伝承している方が数人いらっしゃることを発見。
一方、旧知の芝居小屋のオーナー(元役者)に、「こんな伝統芸能があるけど東京の舞台でやってみない?」と声をかけたら、いわゆる即ノリだったんです。
越後ごぜ唄伝承者の萱森直子さんのホームページで、最後のごぜさん、小林ハルさんの追悼公演が新潟県出湯温泉のお寺の本堂で催されることを知り、一緒に聴きに行ったのが決定的となりました。
(実はその日に初日の演目が決定してしまいました。)
その後全体の構成を練り、役者を休んでいたパートナーに舞台で朗読をしてもらうことにして、萱森さんのごぜ唄につなげることになりました。朗読では方言も入れながらの脚本となったので新潟県出身の方に指導を受けながら練習を重ねたものです。
また、萱森さんの師匠であった小林ハルさんのことも知ってほしいこともあり、ギャラリーには写真や関連書籍、CD等も用意してご覧いただくことにもしました。
舞台監督、美術、音響はもちろんプロの方が一生懸命準備してくださいました。使った小道具の障子はボロボロだったのを皆できれいにして新しい紙を張ったんです。久しぶりの体験でした。
宣伝も私とパートナーの友人・知人に声をかけたり、新潟関係の団体、歴史研究グループ、ごぜさんの芝居を全国で行っていた劇団文化座の公演にチラシを折り込んでいただいたりしました。
【二の段】
いよいよ公演初日、一階のギャラリーの飾り付けはその週の日曜日に簡単に終わりましたが、二階は朝から舞台づくりです。
ステージを作りや照明を配置、いすを並べていよいよリハーサル。
萱森さんも万一の雪の障害を考慮くださり、開演六時間前には小屋入りくださっていたのです。
照明の位置を決めたり朗読、唄のときの照明パターンを設定。
開演二時間前には準備完了です。
【三の段】
開演一時間前から受付開始の予定でしたが、それ以前にお越しの方もいらっしゃったので予定より早く開場です。二階の劇場入場も10分ほど早めたくらいたくさん来てくださいました。
いよいよ開演です。

木枯らしの効果音が入り暗転、朗読の荒木明子さんの声が客席に響きます。
「真冬の雪に埋もれた信濃川の土手に、寒さに震えながら、声を限りに唄う幼いこどもの姿がある。・・・・・・・」で開始した15分間の朗読と語りですが、小林ハルさんがお母さんと共有したわずかな年月のことにフォーカスしてお話ししてもらいました。
久しぶりに舞台に上がりやや緊張したそうです。でもさすがです。多くの観客を朗読で泣かせたようです。

いよいよ越後ごぜ唄、萱森さんの登場です。入場から最初の門付けが終わるまでは淡いライトのなかで唄っていただきました。ごぜさんを皆さんで共有したいという気持ちから演出したものです。
門付け唄に続く「段もの」、初日と15日昼公演は「赤垣源蔵」です。ちょうど討ち入りの日、すべて唄うと二時間にもなる大作ですが、二段に分けて35分聞かせてくださいました。
合間にはごぜさん、ごぜ唄、ハルさんとの思い出などのお話と、ちょっと楽しい「「鴨緑江節」(もちづくし)が披露されました。
後半の二公演の段ものは「巡礼おつる」です。
この唄も二時間かかるものですが30分少々を聞かせてくださいました。
最後は「たち唄」、いわゆる帰るときに唄うものです。
萱森さんは小林ハルさんの弟子ですが、ハルさんの勧めで杉本シズさんという高田ごぜの方にも教えていただいたこともあり、最後は高田ごぜ唄「しげさ節」で70分間の越後ごぜ唄の舞台は終わりました。
(後編はまた後日・・・・・ブローダーハウス・オーナーのブログにも書かれていますので併せてお読みいただくといいかもしれません。)
- by edaats
- at 15:21
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