2006年09月30日

●No.667 身延山

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毎年春と秋の数日間、静岡県の身延山から「ダイヤモンド富士」を楽しむことができる。富士山の頂上から昇るキラッと光る朝日のことだ。この秋は9月30日、10月1、2日が該当する。
この三日間、身延山山頂へのロープウェイは早朝5時前から動く。

『夜中の1時半に自宅を出発、ロープウェイ山麓駅から一気に1,153mの山頂に。
着いたのは日の出の約一時間前。気温は十度少しだろうか、肌寒い。次第に暗闇から富士が姿を現し、昇る朝日が山頂から弾けるように輝いた。
2006年9月30日午前6時10分。身延山からのだ。』

・・・・・・と書くつもりであったが霧と雲でご来光は「×」であった。(泣)

5時半前後に少しだけ、そして身延山を下る直前、霧が晴れかけ雲海の上の富士を眺めることができたのは幸いだ。
また来年春(3/12、13、14)チャレンジしよう。

早朝の奥の院を散歩したが、霧がいい色を演出してくれた。

※10/1の状況はこちら。(残念ながら「×」)

※10/2の状況は・・・・・・・ (残念ながら「×」)
身延山ロープウエイが催す9回目を数えるダイヤモンド富士観賞会で、三日間共観られなかった「全敗」は今回が初めて。(T_T)


             

2006年09月24日

●No.666 デキシー

060924.jpgハリケーンがニューオリンズを襲い壊滅的被害があってから一年が過ぎた。
いまだ復興もままならず、ジャズが街中に流れるまでには至っていない。

そんな中、九月早々から週二日だがブリザベーション・ホールが営業を開始したというニュースが伝わってきた。
ニューオリンズのシンボルが動き始めたことの意義は大だ。復興への羅針盤とも言える存在が明らかになったからだ。
ジャズの故郷からジャズが消えたら大変なこと。ニューオリンズの英雄であるサッチモが天国から嘆くであろう。
世界各国から復興への支援は続いているが、一日も早く街中にジャズが溢れてほしい。

再びニューオリンズでジャズを聞きながら、デキシー・ビールを飲みたいものだ。

             

2006年09月23日

●No.665 おだかけ

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No.662-3 ふるさと」に対して友人からコメントが入った。
『最近稲刈りも「おだかけ」をする農家が殆ど見かけなくなりましたね。』

-おだかけといえば昔の農村の秋の風物詩であった。
そういえばそうだなぁと思い、masaru asoさん の『刈り取り始まりましたね!』のお知らせに合わせ、寺家ふるさと村をのぞいてきた。
半分近くが刈り取られ、おだかけになっていた。
自然乾燥させたコメはウマいそうだ。一度食べて見たいものである。

             

2006年09月22日

●No.664 校舎

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なぜか校舎と校舎を、渡り廊下が結ぶ風景を覚えている。
それが小学校なのか中学校なのかはわからない。

先日、兵庫県立大学に行く機会があり、古い講堂や校舎が残っていたので見学させていただいた。
そこで直面したのがこれまで脳裏に焼き付いていた風景だった。まったく同じ風景に一瞬びっくりした。
もっとも造りは似たようなものであり特別のものではないから不思議なことではないだろう。

しばらく見学させていただいたが、学び舎の風景は何となく次から次に思い出すものだ。

             

2006年09月19日

●No.662-3 ふるさと

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「実るほど頭の下がる稲穂かな」。ことわざの由来そのものが目立つ時季となった。

060919_2.jpgふるさとで思い出すのは、自然の中の山であり川や海だ。
生活の周りには、どれかひとつは必ずあったが、首都圏では次第に縁遠くなってきた。

だから、たまに行く山や海で、ほんの少しだけふるさとを感じとることが楽しみになる。

田舎では夏になれば、いたる所で水遊びをする子供たちがいたものだが、都会でそんな光景にめぐりあうことはほとんどない。

だんだんふるさとを感じる場面が少なくなってきたのは淋しいことだ。

ここ「寺家ふるさと村」は、都会の隙間にある"確保された"心のふるさとだ。
寺家ふるさと村を主たる撮影の場として、四季を撮り続け個展も開いているMasaru Asoさんのブログにはふるさとを切り取った写真が数多く掲載されている。

より大切にしていきたいふるさとだ。

             

2006年09月16日

●No.661 キオスク

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国鉄がJRになってサービス業としての体裁が整い、利用者ニーズを汲み取った営業展開が行われるようになって20年近くになった。
車両も個性あるものになり、路線も乗り入れによって多様化し、利用者にとっての利便姓も高まった。

しかし、最近では営業強化の一環で、スペースの過剰な活用が目立つようになった。すなわち、駅構内の通路やホームへの店舗展開が過ぎるのだ。
その結果、場所によっては混雑度が部分的に増し、人の流れが乱れ混雑の原因にもなっている。
確かに店舗の設置やそのアガリは、利益には貢献するだろうが利用者ニーズとは一致しないこともあるので工夫が必要だ。

藤沢駅には歴史ある湘南電車をイメージしたキオスクが楽しませてくれるが、ややホームを占有し過ぎているような気がする。大きな店舗によって、ホームを整列乗車しにくいスペースにしてしまうのは如何なものだろうか。

             

2006年09月13日

●No.660 人力車

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最近、観光地で人力車による観光案内をよくみかける。
近場に名所旧跡があって、道路が狭かったり駐車場がないような所での人力車のメリットは大きい。それに、何処ででも体験できる乗り物でもないだけに楽しいものだ。
アジアでは、まだ人力による交通具が残っている。

ベトナムで庶民の足として活躍している「シクロ」がその代表だ。
もちろん観光用としての役割を果たしているが、昔から観光客が被害を受けること事件が多発している。最も多いのは料金トラブル。言い値で決めても支払いの段階で違うと言いだす手口だ。ゼロが足りなかったり、発音の曖昧さを使った言い掛かり。ただこれを防ぐには英語やベトナム語で交渉したら、数字を紙に書いて確認することで防げる。
やっかいなのは小路に連れ込まれ、身ぐるみを剥がされることだ。
シクロに乗る時は持ち物全てを盗られてもいいという前提を考えておくべきだろう。
できたらシクロは避け、日本の人力車を体験して欲しいものだ。

             

2006年09月09日

●No.659 石垣島ラー油

060909.jpg35年前、沖縄がまだ米国の統治下だった頃、船で台湾へ行く途中に通過ビザを取って石垣島に寄ったことがある。
川平の海岸の美しさにものすごく感動したことを今でも鮮明に憶えている。
ちょうど多くの大学のキャンパスには、「沖縄を返せ!」という立て看板があった頃のことだ。

その石垣島で夏休みを過ごした友人が、お気に入りのラー油を買ってきてくれた。
ペンギン食堂のラー油は、街中ではすっかり品切れで製造元でどうにか確保したそうだ。ありがたいことだ。

石垣島のラー油(通称石ラー)に初めて接したのは、三年前に別の友人が買ってきてくれた時だった。唐辛子だけでなく色々なものを”ちゃんぷるー”したコクのある味が何とも言えず、温かいご飯に少しだけ振りかけて食べても美味しいものだった。石ラーの食べ方が「ペンギンごはん」 として本にもなった。
それ以来、すっかり石ラーのファンになってしまったのだ。

ペンギン食堂のラー油は首都圏でも限られた店で買うことができるが、最近ではファンも多くなりすぐに品切れになってしまう。
多少待つことを覚悟して直接ペンギン食堂に注文したらいいだろう。

何で沖縄の暑いところで「ペンギン」なのか、店主の姓が「辺銀」というところからきているそうだ。

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