●No.113 大晦日
年末恒例の「アラカルト」観劇もできた2002年。
昨年も同じだったが喜怒哀楽の激しかった面白い一年だった。
2003年はどんな年になるだろうか。どうせなら、やっぱり、面白おかしく生きたい。
年末恒例の「アラカルト」観劇もできた2002年。
昨年も同じだったが喜怒哀楽の激しかった面白い一年だった。
2003年はどんな年になるだろうか。どうせなら、やっぱり、面白おかしく生きたい。
台日親善文化交流カラオケ大会が横浜教育文化センターで開かれた。
初めて、ステージで行われるカラオケイベントに行ってきた。
出演者の衣装にまずびっくりだった。次に堂々たるステージにまたびっくり。最後に、プロではないかと錯覚するほどのうまさにびっくりであった。
歌と踊りで総勢100組(うち台湾から30数組)のイベント。 こういうイベントは各地で開催されているという。ピアノやエレクトーン発表会と同じようなものだ。
11/23に続いて宮が瀬へ行き、巨大クリスマスツリーを見てきた。10,000個の電飾で飾られたツリーは見事であった。
何年か前にフィリピンでクリスマスを迎えたことがあったが、深夜の教会で大きな輪をつくり握手し合ったことを思い出した。
宮が瀬ツリーの場所では宗教的儀式はないだろうが、多くの方が毎年くるという。 とかくダムというと住民との軋轢が多いそうだが、ここ宮が瀬ダムは住民との融和が行き届いた地域のようだ。
暖かくなったらおにぎり持参でワンコを連れてこよう。
あと10日で2002年も終わりだ。
数週間ぶりの晴の日曜日15日、ホテル・オークラで「日本李登輝友の会設立大会」が開かれた。
400数十人の発起人を含め1000人を超える 参加者となった。
大会では会長に阿川弘之氏が選任され、後半は「日本精神と台湾精神」という演題で李登輝先生の講演だった。
しかし李登輝先生はこの場にはいない。
日本が来日するための査証を発行しないからだ。実に残念なことだが、インターネットによる李登輝先生の講演となった。
新渡戸稲造氏の武士道を題材に、武士道は世界の規範になるものであり、今一度武士道の素晴らしさを振り返って誇りある日本精神を取り戻して欲しいという内容の素晴らしい講演であった。
講演が終わると、拍手が平安の間から長い間止まらなかった。
講演会最後の李登輝先生のコメントは、「時期がきたら是非奥の細道を日本の皆さんと歩きたい」であった。
李登輝先生も、もう80歳、一日も早く実現させてあげたいものだ。
日本李登輝友の会の役割でもある。
同業の仲間との忘年会、数寄屋橋ガード下が会場だった。
店を出て何気なくガード下のトンネルを見たら、古いたたずまいであった。
昔の日活映画に出てきそうな風景。残念ながら写真にしたらあまり煙が目立たなくなってしまったが、焼き鳥を焼いている煙が立ち昇っている。
段々昔を思い出させるようなところは減っていくのだろう。
二次会は銀座のJAZZハウス。いつもの「All of Me」をリクエストした。
朝起きると一面真っ白。この冬初めての雪だ。
薄暗い白色キャンバスの中の光が気に入ったワンカットである。希望の灯りにも見える。
希望を持ち続けることがバカ呼ばわれされることも多い世の中。
それでもいい。それも ひとつの生き方だ。
バカは死ななきゃなおらない。
ここ二ヶ月近くホームページのリニューアル準備をしてきた。一応新バージョンが整ったので12/7付でアップデートを行った。リニューアルのついでにリンク切れもチャックしながら進めたがついHP訪問で時間が掛かった。
リンクのリンクをたどると80歳を超えた方がHPを作ったりしているのにぶつかる。また、色々な方がネットで主張をしたり、家族を紹介したり実に多くのコンテンツがある。リンクのリンク、さらにリンクと切れ目なく流れていくネットワークコミュニケーション。
まさしく「友達の輪!」である。
知りたいことは必ずといっていいほどネット上で見つかる世の中になった。
すごい時代になったものだ。
20数年の台湾の友人・王昌明が昨日12/1に亡くなった。台北ではいつもいつも歓迎してくれた彼だ。
10月に台北に行ったときに余命いくばくもないことを知った。次に行くときまでもって欲しいと願っていたのだが・・・。
大切な友を失った。
合掌。